昨日の『どれも同じ』 の続きです。
スピリチュアル、と言った表現がかなり自然に使われる様になりました。
本屋さんに行くと、様々なジャンルの本が並んでいますし、
宇宙の仕組みを物理的に読み解く本や、自己啓発の本、
海外のニューエイジの分野など、本当に様々です。
それぞれ、支持する先生によって分けられ、レッテルを貼り
こっちがいい、あそこはおかしい、と言った表現を目にする事もあります。
それこそ、残念だと思います。
この世に生きる為に、何が好きで何が嫌いか、というシンプルな判断でいいはずです。
ここで大事なことは、ジャッジする事ではない! ということです。
自分と異なる考えや生き方を認めるだけです。
好きになる必要はありません。
ただある・・・のです。
私のしている事も、ジャンルやレッテルを貼られても、(貼るのは自由ですが)
私は、今出来る事をやっています。 と言うしか無いのかなと思っています。
つまりレッテルを貼るのは、外側の問題です。人は、勝手に分けたがります。
便利だからでしょうね。扱いやすい。グループにしておくとスッキリするからでしょう。
それが行き着くと、他を排除したりする、小学生のいじめのような構図になって行きます。
もっというと、共依存にもつながります。
私は、この共依存に長く苦しみました。この話はまたいつかお話しします。
オープンで、ニュートラルな考え方をした方が、ずっとシンプルで生きやすいのです。
そして、最終的には一つの頂上を目指していると思っています。
話す人のフィルターに寄って、表現が違っているだけです。
ついつい人は、周りの事をジャッジはしてしまいます。
落ち込まなくても大丈夫です。・・・それもジャッジですからね。
また、やってるなぁ、あるあるこう言う所!
それでOKです。 みんなおんなじ道を歩んでいます。
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